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奠濟宮

奠濟宮の入り口 1
奠濟宮の入り口
奠濟宮の中 2
奠濟宮の中
奠濟宮の鳥居 3
奠濟宮の鳥居
奠濟宮の入り口縮小圖片, 角度1
奠濟宮の中縮小圖片, 角度2
奠濟宮の鳥居縮小圖片, 角度3

基隆廟口夜市の「廟」とは、夜市の中に身を隠す奠済宮を指しており、清の同治12年(1873年)に建造され、130数年の歴史を誇る、基隆市区で最大の由緒ある廟宇である。廟内に祀られている開漳聖王は、唐朝の陳元光将軍でもあり、その誕生から現在まで、既に1300数年も経っている。開漳聖王は河南人であり、唐の垂拱2年(686年)に福建広東平定の命を受け、辺境を開拓し、現地民衆を平和に治め、恩沢が福建台湾まで及んだことから、死後に開漳聖王とされた。 基隆の先人たちは大部分が閩南から来たため、開漳聖王・陳元光将軍の恩恵と権威に対する敬慕により、基隆に廟を建てて祀った。当時は基隆地方地主らによって外木山の10数ヘクタールの土地が廟財産として購入され、その上に木材で廟を建てたが、後に板橋望族の林本源らが現住所である仁愛区王田里を寄付し、現地の熱烈な反響を受け、清の光緒元年(1875年)に竣工し、当時の奠済宮は、精緻を極めた細工が施され、非常に壮観であった。第二次世界大戦で奠済宮は爆撃を受け、風雨による長年の浸食も加わり、破損が甚大であったが、1964年に地方人士の寄付によって修築され、更に前殿や両廊鐘鼓楼も興建され、基隆奠済宮は今日のような規模となった。 一般的には廟に入る階段数によって廟宇の大小や祭神地位の高低を判断するが、奠済宮の主祭神は開漳聖王・陳元光将軍で、各神々も祀られている。開漳聖王は民間信仰の道教においてそれほど地位は高くないが、漳州から移住してきた人々の心においては至上の地位にある。伝説中の聖王は、唐代の武進士であり、福建と広東辺境の乱を平定しただけでなく、漳州の建立も上奏した。現地住民はその功徳に報いるため、各地で廟を建設して祀ったため、基隆は“七階”大廟をもって聖王を祀り、奠済宮は「聖王宮廟」とも呼ばれるようになった。 廟殿内に入っていくと、殿内の彫刻からは古色が漂い、賑やかな街道の中に、これほど古朴で香火が盛んな廟宇が存在するとはにわかに信じがたい。どれだけ月日が経っても、多くの信者たちが参拝に訪れ、毎年旧暦2月15日には奠済宮と協催部門の得意堂第十組が早朝より祭典を行い、午後からは練り歩きイベントも行われ、当日、奠済宮管理委員会は歌仔劇(台湾オペラ)を二日間公演に招いて、順調に行なわれるよう祈願する。謝劇が追加されたら、もう3、4日ほど賑わう。