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暖暖安徳宮

暖暖安徳宮の鳥居 1
暖暖安徳宮の鳥居
暖暖安徳宮の石板 2
暖暖安徳宮の石板
暖暖安徳宮の鳥居縮小圖片, 角度1
暖暖安徳宮の石板縮小圖片, 角度2

暖暖安徳宮は暖暖老街の末端、踏切のそばにあり、1801年(嘉慶6年)に建てられ、幾度もの修築を経て現在の姿となった。主祭神は天上聖母の媽祖で、二百年以上の歳月が経つ、暖暖最古の廟宇であり、暖暖地区において香火が盛んな廟宇の一つでもある。幾度もの修築により元の姿は失ったが、廟の前にある石板廟埕と石獅子は、清の嘉慶年代に遺された古物で、深い文化価値を持つ。 安徳宮の建築スタイルも特殊で、まず大殿で祀られている三体の媽祖は三進庁を採用して、大廟の気概を示し、天井にある井の字の横梁の中間には中国服飾をまとった西洋人のような顔の人物がいるが、オランダ人が台湾を統治していた当時、台湾人が心中の怒りを口に出せなかったことを暗喩する方法で抗議したものである。建築スタイルが特殊であるほかにも、安徳宮には多くの百年古物が保存されており、たとえば鎮廟の宝-香炉は、中国でも陶磁器の生産でかなり有名な景徳鎮のものである。廟内には台湾でも僅かな二体の門神もあり、すべて木造で、重さは60㎏にも達し、百年以上の歴史を誇り、極めて珍しい。 廟前広場の両脇には安徳宮の歴史沿革紹介や古今名人の碑林があり、非常に意味深い。安徳宮廟門の向かいには暖暖の著名な文人武挙の事績を述べた牌坊もあって、人文が集まる暖暖の歴史を証している。両側の門にある横札は、左が「筆山拱北」、右が「渓水流東」となっているのには根源がある。安徳宮から暖暖ダム方面を見ると、山脈が筆掛けに非常に似ていたことから「筆山拱北」と呼ばれ、「渓水流東」は元々は北向きだった暖暖渓流が基隆河に注入された途端、急に東向きに方向が変わることを指しており、非常に遊び心があって面白い。 悠久な歴史を持つ安徳宮は暖暖の信仰の中心であるばかりでなく、多くの暖暖人にとっては子どもの頃の懐かしい遊び場でもあるため、媽祖聖誕や中元普度、中秋節等、重要な祭典がある際には、各地に散居する暖暖人が廟に戻って一堂に集う。