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獅球嶺平安宮

獅球嶺平安宮の入り口 1
獅球嶺平安宮の入り口
獅球嶺平安宮の入り口縮小圖片, 角度1

平安宮は仁愛区獅球嶺のそばにあり、建廟から既に二百数年もの歴史がある。基隆の文献によると、基隆市にある百所近くの土地公廟の中で、獅球嶺平安宮の歴史が最も古く、建築も最も壮大であり、当宮は清朝の嘉慶元年に建てられ、基隆の僅か二か所に遺された清朝時代建築物である土地公廟のうちの一つである。現時点においては基隆で最大の土地公廟でもあり、土地公や土地婆を祀り、古色に溢れ、昔の神像遺跡まで遺されており、非常に特別である。 民間伝説によると、1880年の清仏戦争時、フランス軍は清軍が守っていた獅球嶺砲台の占領を試みたが、一人の杖を持った白髭の老人に撃退され、それが土地公の化身であったと伝えられたため、以来平安宮の信者は途絶えることが無かった。 獅球嶺平安宮は現在までに7度もの修築を経ており、最近で言うと1990年で、最初は西南西向きであったこの宮だが、何度も修築されていくうちに現在の北北西向きとなった。また、当廟は最初茅葺きの小さな廟であったが、現在では壮大な規模の廟宇へと全く生まれ変わり、規模の大きさは王爺廟や媽祖廟にも匹敵する。大規模な再建は1921年(辛酉年)に行われたもので、宮前広場や右側にはまだ辛酉年の「獅球嶺平安宮再建のしるし」の石碑と、当時寄付をした信者の氏名や金額が刻まれた碑文が残されている。 平安宮前の50メートル先には、立派な山門が建てられており、大理石の円柱にはそれぞれ二つの対聯が刻まれている。続けて平安宮方面に向かって上って行くと、清朝時代に彫刻された一対の石獅子が目に入るが、生き生きとしていて威力があり、当廟の鎮宝古物である。 平安宮の正殿は精緻を極めた細工で、金碧に輝き、伝統的な手細工芸術が至る所で見られる。左殿内には今でも多くの清朝時代の土地公神像が祀られ、神卓は日本統治時代の大正10年から今に至るまで置かれているため、古人を思い出させるゆかしい趣が感じられる。正殿と拝殿の両側の石柱にも、多くの対聯があり、全て基隆の名詩人による創作で、これらの対聯からも、現地の古の歴史と、文化芸術の精神のありかたを知ることができる。 獅球嶺にある平安宮から見下ろす基隆市の景色は最高で、清朝時代においては基隆八景の一つであった「獅頂匝雲」の所在地である。毎年旧暦2月2日は土地公の誕生日を祝い、獅球嶺平安宮と愛三路百年官道福徳宮も盛大に祝って、信者のために幸福祈願も行なうため、一度訪れてみる価値はある。


寺院は撮影できません