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築港殉職者記念碑

築港殉職者記念碑正面 1
築港殉職者記念碑正面
築港殉職者記念碑 2
築港殉職者記念碑
築港殉職者記念碑正面縮小圖片, 角度1
築港殉職者記念碑縮小圖片, 角度2

築港殉職者記念碑は港務局(現在は台湾港務公司に改正)旧宿舎高遠新村そばの小さな丘の上、すなわち現在の46号埠頭付近の坂の上にあり、記念碑は日本統治時代、基隆築港工事にて殉職した職員を記念するために建てられた。 台湾は清朝より戦略的位置の重要性のため、非常に重視され、日本統治時代に日本が台湾を引き受けた後も、大量の人力と物力を台湾に運送するため、最も天然港湾の条件を具え、且つ最も日本に近い基隆港を選び、台湾初の港現代化を実施した港湾となった。 基隆築港殉職者記念碑は1930年に建立され、主に1899年の築港開始より、殉職した築港職員を記念するために建造されたもので、中でも1924~1928年に46号埠頭の興建時に殉職した職員を主としている。というのも、当該工事で犠牲となった人数が最多であり、そのため、西岸16号埠頭付近の火号山に、基隆港方面に向かって、この碑を建てた。 記念碑はそれぞれ基磐、基座、碑座、碑身、碑首の5つの部分に分けられている。基磐と基座の外形の輪郭は似ている。基磐の表面はコンクリートを吹き付けている。基座の装飾は複雑で、洗い出し処理をしており、デザインは西洋建築派の「折衷主義」がクラシック建築の幾何学要素を混ぜた表現の作法に近く、採用されている要素は4つの角の円柱体、楕円体、アーチ形石造り、乱れ積み石造り等が含まれている。建築全体的には豪快で頑丈な姿を表現している。 空間計画は参道、記念広場、記念碑の三部分があり、参道は記念碑の中軸線上に位置し、登り階段が主で、記念広場は上下層参道の間に位置し、全空間の中で最も広い場所で、基隆港を眺めるベストスポットでもある。その他、記念碑は全体の最上層に位置し、参拝儀式の終点でもある。基磐、基座、碑座、碑身、碑頂の5つの部分に分け、遠くから碑身を見ると人間の顔と長いひげを生やしているかのように見える。 日本統治時代、基隆港の修築過程は非常に苦しく、多くの作業員が殉職した。この記念碑はまさに先人たちが港区を創建した辛酸な汗と血の歴史について語っており、現在もなお港湾を守っているかのようである。