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城隍廟

城隍廟の参拝者 1
城隍廟の参拝者
城隍廟の演出 2
城隍廟の演出
城隍廟の入り口 3
城隍廟の入り口
城隍廟の参拝者縮小圖片, 角度1
城隍廟の演出縮小圖片, 角度2
城隍廟の入り口縮小圖片, 角度3

基隆護国城隍廟は仁愛区忠一路にあり、廟の門はちょうど基隆港の真向かいにある。当初は地方に天災人災が絶えず、清の光緒13年(1887年)に挙人・江呈輝と秀才・張尚廉によって建設のための寄付が発起されたと言われている。史跡専門家の林衡道氏の著作《台湾名勝古跡取材記》の記載によると、現地では基隆城隍廟の城隍爺は清朝時代における基隆庁第七代海防通判包容であり、善良且つ清廉な人柄で、務めに励み、民を愛していたが、その勤労さゆえに任期内で病死してしまい、没後は地方の官民がその徳を称え、泥によって塑像して祀り、護国城隍と呼ばれ、基隆の城隍爺とされたと伝えられている。 城隍廟の空間設計における特色は「三川殿」を通して、「拝殿」、「正殿」の三者を一つに繋げ、「工」の字を形成していることで、荘厳な気迫を生み出している。城隍廟は建築上の高低起伏を通して、明暗の対比を表現しており、段々上昇する地面と繰り返される柱の列が、圧迫感と薄暗く厳粛な雰囲気を創り出している。殿の上には大きな算盤が掛けられており、世の中の善悪を計算し、世の人々に懲罰を与えて警告をする意味があると言われている。 毎年行われる城隍文化祭は城隍廟の中でも最大の催事であり、多くの参観客を引き寄せている。旧暦7月に鬼門が閉じられた後、城隍廟は習俗に従い、旧暦8月14日に各県市の城隍を招き、遊行船に乗って基隆港をめぐり、夕方からは夜の練り歩きを行ない、8月16日には平安練り歩きが行われる。伝統的な民間信仰として、鬼門が閉じられた後も、いたずら好きな魂が漂流しており、民間の普度(死者への供養)を受けた後も、この世を名残惜しみ、地獄に戻ろうとしないため、城隍爺は神将を率いて、市街区を巡り、漂流する魂たちを追い払って、幸いを呼び寄せ、人間たちを守ってくれると信じられている。これは世に警鐘を鳴らす働きもあり、ちょうど城隍廟前にあるお札のように、「善は必ず栄え、悪は必ず滅びる」と伝えている。 年に一度の鶏籠城隍文化祭は通常、主催部門である城隍廟がシリーズイベントを開催するため、基隆全体が相当賑やかになり、時には各県市の七爺と八爺を招いて、民衆に城隍廟の歴史変革や意義について紹介する。七爺と八爺は首の上にひとふさの光餅を掛けており、その場で民衆に配られるが、食べたら厄除ができ平安が保てると言われている。